愛知県営名古屋空港の北端(同県小牧市小針)には、いまは閉じられた小さな門がある。門は鉄条網があるフェンスの一部になっており、長年の風雨による赤さびが目立つ。
その扉が中華航空機が墜落した1994年4月26日、耳をつんざくサイレンとともに開かれた。
同空港はもともと戦争末期の44年、農地をつぶして造った旧陸軍飛行場。戦後米軍基地となり、55年、門の付近にあった旧小針集落などを移転させ、基地を拡張する計画が持ち上がると、大規模な反対運動が起きた。
小牧市に合併される前の旧北里村では、村長が反対の対策委員長、戦前はあたりの大地主だった大野春吉さんが副委員長に。100人以上で県庁へ要請にも行った。大野さんは55年6月、衆院内閣委員会の参考人になり、「生活の根拠を根底から覆される」と訴えた。
だが、補償金などで切り崩され、116戸が集団移転した。大野家だけが粘ったが、滑走路は58年、現在の2740メートルまで延長された。同年、米軍管理から自衛隊と旧運輸省の共同使用に代わった。
それでも大野さんは、空港敷…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル